ミステリー研|歴史:日本とイギリス関係について
スクランブルストーリー提供
歴史的な内容を少し対話形式で伝えるこのコーナー
新企画:ミステリー研の歴史ミステリートーク
この企画は、歴史❌ミステリー❌対話 形式で、情報をお届けする企画。
登場人物
ミステリー研究部
水野輝(みずのひかる)
三住研(みすみけん)
上記の台本はこちら
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この企画の目的は、若い人にも歴史を見てもらいたいと言うこと、政治にも触れたり、活字にも触れてほしいと思ってます。
多少、史実とズレがあったりする場合がありますのでおもしろ話と思って歴史を知るきっかけになってくれたらいいなと思ってます。
場所:ミステリー研究部部室
研:ミス・テリー、薩英戦争(さつえいせんそう)について知ってる?
輝:うーん、残念ながらあまり知らないよ。
研:薩英戦争のはじまりについて、詳しく話していくね。
輝:今日も張り切ってるね!頑張ってくれたまえ。ミスター・ケン。
研: 薩英戦争が起こった背景について、どう思いますか、ミス・テリー?
輝:何かの事件とかが起きたり原因がないと戦争って始まらないよね。
研:そうなんだ。生麦事件って知ってるかい?
輝:生麦事件?生麦生米生卵?のあの生麦。
研:そう!この事件は、文久(ぶんきゅう)2年8月21日(1862年9月14日)に、神奈川県横浜市鶴見区生麦付近で起こった事件なんだ。
輝:生麦は地名なんだね。文久2年ということは、江戸時代末期になるのかな?
研:そう。その生麦事件では、薩摩藩主 島津茂久の父・島津久光の行列に遭遇したイギリス人たちが、供回りの藩士たちに殺傷されちゃった事件なんだ。確か、1人が亡くなって、2人が重傷を負ったんだよ。
輝:あれま、尊い命がなくなってるってことは、諸外国とのトラブルって結構まずいんじゃないの?
研:そうだね。もともとこの時期は、尊王攘夷の運動の高まりの中の事件だったから、この事件の対応にめぐって大きな政治問題となってしまったんだよ。その後、生麦事件はイギリス政府と日本政府の間で外交問題に発展し、イギリス海軍が薩摩藩に対して報復を行うなど、複雑な経緯を辿りました。
輝:なるほどね。。。
研:英国側は、江戸幕府が日本における英国人の安全を保障しなかったことに対して、薩摩藩に賠償を求めるとともに、薩摩藩がイギリス人を保護することを要求しました。薩摩藩側は、英国人の安全を保障することは江戸幕府の役割であると主張し、賠償金を支払わないとして交渉が決裂しました。
輝:交渉決裂、、、ということは、、、
研:そう。つまり、この交渉が原因で、薩摩藩とイギリスの関係は悪化し、文久3年1863年7月に薩摩藩とイギリスとの間で、薩英戦争が勃発することになったんだ。
輝:ミスター・ケン。はい。この戦争は、事件から約1年後になるんだね。
研:そうだね。イギリスは幕府との交渉が不調に終わった後、薩摩藩と直接交渉するために6月27日に軍艦7隻を鹿児島湾に入港させました。しかし、交渉は上手くいかず、7月2日には薩摩藩船が拿捕(だほ)され、薩摩藩がイギリス艦隊を砲撃して薩英戦争が勃発しました。
輝:拿捕(だほ)?
研:拿捕(だほ)とは、政府の船が商業の船に対して、船員を乗り込ませたり、船を支配下に置いたりすることなんだ。
輝:イギリス軍が薩摩船に乗り組んできたんだね。
研:結局、薩摩側は大きな被害を受け、鹿児島市街の500戸以上が焼失したんだけど、イギリス艦隊側も損傷が大きく、4日には艦隊が鹿児島湾を去り、戦闘は終わったんだ。この戦争で薩摩藩はイギリスの軍事力を目の当たりにし、攘夷の声は急速に下火になり、藩内の意見は開国へ向かう方向に大きく転換することになりました。
輝:それで明治時代への転換期となるんのね。そう言えば、この事件はどうなったの?
研:結果的に戦後、イギリスと薩摩藩は、10月5日に横浜のイギリス公使館で話し合いをして、講和することになったんだ。薩摩藩は「海岸防禦費(かいがんぼうぎょひ)」という名目で幕府から借りた2万5000ポンド(約630万両)をイギリス側に支払ったよ。ただ、生麦事件の加害者の処罰については「逃亡中」ということになり、実際には処罰されなかったんだ。
輝:ミスター・ケン!じゃぁ薩英戦争後ってどうなったの?
研:薩英戦争の結果、日本は英国との間で不平等条約である「日英修好通商条約(にちえいしゅうこうつうしょうじょうやく)」を結んだよね。
輝:えっと「日英修好通商条約」ってどう言う条約だったの?
研:この条約により、長崎・横浜・神戸の3港などが開港され、外国商人の居留地が設置されることになったんだ。 また、この条約により、日本は関税自主権を失い、輸入品に対して協定税率を課すことになりました。
輝:だから不平等条約っていうふうに言われてるんだね。
研:そうだね。また、この条約には、英国人による領事裁判権が認められました。これにより、英国人が日本で犯した犯罪については、英国の領事裁判所で裁くことができるようになりました。
研:このように、日本はこの条約により不平等な待遇を強いられることになりましたが、同時に外国からの進んだ文化や技術の導入が進み、近代化が進んでいくことになりました。
輝:それで明治時代への転換期となるんだね。そう言えば、英国館とか異人館とかってあるけど明治の頃からあるからイギリスの関わりって割と知られてないけど、あるんだね。ミステリーだぁ
研:ミステリーと言えば、ミス・テリーくん、シャーロック・ホームズは好きかい?
輝:好きよ。英国の作家コナン・ドイルの推理小説「シャーロック・ホームズ・シリーズ」でしょ?
研:そのシリーズのシャーロック・ホームズの部屋を再現した場所が英国館にあるんだよ。 輝:え、そうなの?
研:豪華な英国のライフスタイルのシャーロック・ホームズに出てくる「ベーカー街221B」の部屋や、ヴィクトリア朝時代のロンドン、怪しげな下宿の一室など、を再現してあるんだ。
輝:え、いいないいな!!
研:しかも、シャーロック・ホームズのトレードマークであるインバネスケープとディアストーカーなどが用意されてあるから、着用して名探偵になりきって記念写真を撮ることができるんだって。
輝:いつか行ってみたいなぁ。。。
研:あとね。庭にはシャーロック・ホームズ生誕160周年を記念するブロンズ像や、模擬「ベーカーストリート駅」など、遊び心いっぱいの撮影ポイントがあるんだって
おすすめしておくから、Air DropでそこのサイトのURLを送っておくね。
輝:え、いいの!?教えてくれてありがとうね。
基本情報
住所: 〒650-0002
神戸市中央区北野町2丁目3-16
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